顔面偏差値が高い美人広報や美人秘書のケツを引っ叩きたい

最近美人or可愛い子が多過ぎる。電車に乗れば可愛いor美人に遭遇し、知り合いの彼女や奥さんは可愛く、インスタは美人合戦の戦場に。

AVだってそう。元グラドルやアイドル顔負けの顔面偏差値を持った子がじゃんじゃんデビューして、『可愛い!』が追いつかない状態に。

会社も例外ではなく、どこで探してきたんだ?という程の美人が広報か秘書を務めていて、これなら社畜もありだなと心が揺れ動く午後のひと時。

で、こういう美人からたまにメールが届く。勿論個人的なものではなく、取引先の一つとしてのメールであり、こんな内容。

件名:産休・育休による長期休暇のお知らせ

別に狙っていたわけではないんだけど、”あっ、やっぱり男いたんだ”と分かった時の何とも言えない気持ちの正体はなんなんだろう。ショックでも悔しさでもなく、かといって心からのオメデトウではないこの複雑な気持ち。

思えば美人と縁のない人生を歩んできた。クラス1可愛い生徒に対してフランクに会話できるクラスメートを何度羨ましいと思ったことか。その時にもこんな感情を抱いた、、、気がする。どうせ自分のモノになるわけではなく、その美女に話しかけられたところで、相手を振り向かせられるだけの材料は持ってない。そんな嫉妬から発生するネガティブな思い込み、勘違いを抱えて生きてきた為か、いつしかこんな感情を抱くようになった。

ケツを引っ叩きたい

実践したことはない。ただ、願望としては長い間持ってる。ケツを引っ叩いたところで何も変わらないことは分かってるし、そもそも私に叩かれる筋合いもないだろう。

だからこそ思うのだ。

ケツを引っ叩きたい

美人や可愛い子はいつ見ても可愛い。嬉しそうな顔、悲しい顔、怒ってる顔。その全てが美人or可愛いというフィルターによって最終的に【どんな表情も美人(可愛い)】という終着点に落ち着く。計算なのか天然なのか分からない部分含め、その全てが魅力となる。

それらを言葉にした時、自然とこうなる。

ケツを引っ叩きたい

叩きたい叩きたいと連呼してしまったが、ケツの持ち主である美人には家族がいて、帰りを待ってる人もいる。両親からこれでもという愛情も受けてきたことだろう。安易に叩きたいなんて宣言するものではない。では、なぜ【ケツを引っ叩きたい】となるのだろうか?そんなドSなのか?

否!

尻派ではない

AV(特にカンパニー松尾氏の作品)を見ていると、ケツをペチペチ叩くシーンに遭遇する。ただ、そのシーンに対して思うことは何もない。むしろ早く終わってくれとも考えてしまう。また、VHS時代の人気シリーズである【女尻】作品も興味はない。つまり、尻派でも性癖でもないということだ。赤くなっていくケツを見ていると演技とはいえ、少々気の毒に感じてしまうのだ。

見るのは嫌、実際に叩きたいわけでもないとなると、残りはこれしかない。

言いたいだけ

ケツを引っ叩くという行為は相手より自分の立場が上であることを示す行為にもなるわけだが、自身は立場が上であることを示したい女性はいない。となると、残されたのは”言いたいだけ”という救いようのない答えが出てきた。

美人広報のケツを引っ叩く
美人秘書のケツを引っ叩く
美人過ぎる店員のケツを引っ叩く

ただ、言いたいだけ。
【美人】と【引っ叩く】というあり得ない組み合わせが気に入っただけである。

なのでこれからもケツを引っ叩く機会は訪れないだろうし、頼まれても軽くペチで終わりだ。

【女尻】シリーズが復活しても見る気はなく、壇蜜のケツは美術品を見るような気持ちで鑑賞し続け、倉持由香の尻時計で時を重ねていく。

ただ、語呂は気に入っているので、今後も美人を見る度にこう思ってしまうのだろう。

ケツを引っ叩きたい

と。。