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髙田郁『花だより みをつくし料理帖 特別巻』ネタバレ感想文|泣いて笑って感動できるシリーズ待望の後日談はいけねぇよう!

 

『みをつくし料理帖』という時代小説がある。

 

時代小説というと、

「読みにくい文章で書かれているんじゃないか」

とか、

「おっさんやおばさんが読むような作品なんじゃないか」

とか、若い年代からはネガティブな印象を持たれることが多いジャンルだ。

実際に読みにくい時代小説もあるし、読んでいるのは大体おっさん・おばさんなので、その認識は大きく間違ってない気もする。

 

しかし、物事には必ず例外がある。

 

この『みをつくし料理帖』そんな時代小説のネガティブ部分など吹き飛ばすような、単純明快で読みやすく、情の深い物語を味わえる素晴らしい小説だ。

それを証拠に、北川景子さんや黒木華さんを主演にして二度もドラマ化しており、さらに作品そのものに人気があるので全10巻で完結したにもかかわらず、その最終巻後の後日談というか、スピンオフというか・・・まぁ続編のような物語が発売されている。

今回は高田郁さんの『みをつくし料理帖』の魅力を伝えると共に『花だより みをつくし料理帖 特別巻』のネタバレ感想をダラダラと書いていきたいと思う。

 

 

花だより みをつくし料理帖 特別巻

あらすじ

澪が大坂に戻ったのち、文政五年(一八二二年)春から翌年初午にかけての物語。店主・種市とつる家の面々を廻る、表題作「花だより」。澪のかつての想いびと、御膳奉行の小野寺数馬と一風変わった妻・乙緒との暮らしを綴った「涼風あり」。あさひ太夫の名を捨て、生家の再建を果たしてのちの野江を描いた「秋燕」。澪と源斉夫婦が危機を乗り越えて絆を深めていく「月の船を漕ぐ」。シリーズ完結から四年、登場人物たちのその後の奮闘と幸せとを料理がつなぐ特別巻、満を持して登場です!(引用|amazon)

 

そもそも『みをつくし料理帖』とは?

この作品は

「料理を主軸にした時代小説」

という珍しいジャンルで、主人公の料理人:澪(みお)が自らに降りかかる不幸に負けることなく、季節ごとに旬となる食材を使った料理を考え、周りの人やお客に喜んでもらいながら懸命に生きる姿が描かれている人情小説だ。

大阪生まれの澪が四苦八苦しながら江戸の人々に受け入れられる味を生み出して受け入れられていく様子や、淡く切ない恋、幼馴染の親友を助け出すための戦いなど多くの見どころに溢れているシリーズ作品になっている。

 

 

シリーズは何冊出てるのか?

シリーズ自体は、

八朔の雪

花散らしの雨

想い雲

今朝の春

小夜しぐれ

心星ひとつ

夏天の虹

残月

美雪晴れ

天の梯

という10冊で物語は完結しており、今回の『花だより みをつくし料理帖 特別巻』は、最終巻後の主要人物たちのその後が描かれているので、もう続きを読むことが出来なくて嘆き悲しんでいた原作ファンに対するご褒美のような作品といえる。

ということで順番に見ていこう。

※ここからガンガンネタバレします

 

「花だより ~愛し浅蜊佃煮~」

大好きだった『みをつくし料理帖』のシリーズだったが、実は読む前まではイマイチ読む気が起きなかった。その理由は、澪と結ばれなかった小松原様の結婚生活を僕は見たくなかったからだ。

その件についての細かい話は後述するので今は割愛するが、とにもかくにもテンションの上がらない状態で読み始めることになったこの特別巻だったにもかかわらず、表題作「花だより」から始まった久しぶりの『みをつくし料理帖』の面々に出会えてすぐにに幸せな気分になってしまった。

久しぶりに種市の人情味あふれる人柄に触れたらそれだけでこちらも幸せになってしまった。本当に自分が簡単な人間で嫌になる、笑。

この「花だより」では、大阪に移住していった澪に会うために種市と坂村堂と戯作者・清右衛門の三人で東海道を旅する話で、そこに死期を告げてくる占いやらお土産品をワイワイ選んだりといくつもの要素を丁寧に織り込みながら久しぶりの物語が始まっていく

結局、温泉地で腰を痛めてしまった種市は大阪行きを諦めてトホホと終わっていくが、最終話にてサプライズもあるので、綺麗なフリとなる小編だった。

 

「涼風あり ~その名は岡太夫~」

先ほど書いていたように、小松原様と澪以外の結婚生活など読みたくなかった。という本音はあれど、読み飛ばす選択肢などないのでもちろん読んだこの作品。

感想の前に一応、本編の小松葉様エピソードについて少し。

小松原様と澪は一度は相思相愛になり結ばれる寸前までいったものの、澪が目指すべき心星である料理の道に進むために別れてしまった悲しい恋愛事情がある。物語序盤から澪を助け、導き、共に過ごしてきた小松原様が澪と結ばれることなく離れていく展開は、物語の中でもトップ3に入る衝撃で同時に悲しいものだった。しかも、現代の日本と違い武家の嫁になるということは大変なことで、その為のサポートも全て整いつつある中での別れだった為、その責任のすべてを小松原様がかぶる形で別れることになったのだ。しかも黙って泥をかぶる小松原様。男だぜ、小松原様。

泣く泣く別れた二人だが、その後、本編では結婚の噂を聞いた程度しか登場しない小松原様の結婚生活が、ガッツリ描かれるというのだ。見たいような、見たくないような、そんな複雑な感情を生み出している為に、僕はこの作品を手に取ることに躊躇してしまったのだ。

ところが、読み始めるとそんなことは忘れてしまったかのように物語に没頭してしまった。

「涼風あり」では、小松原様と夫婦になった乙緒(いつを)の視点で物語が進んでいく。乙緒は感情を顔に出さないようにとの父の教えを守り続けてきた為に、「能面」やら「笑わぬ姫君」などと周りから揶揄される人物で、自分自身でも己の欠点をわかりつつ諦めにも似たような感覚を持っている。自身の劣等感が読んでいて切なくなってしまった。

読み初めは、あまりにも二人の精神が近くて嫌だったのだが、乙緒の抱えている劣等感に感情移入をしてしまったので中盤以降は、心配するな!と肩を叩いてあげたくなってしまった。小松原様は不器用だけどいい男だ。そしていい夫だ。

 

 

「秋燕 ~明日の唐汁~」

シリーズを読んでいて気にしていた事の一つに、野江と澪のパワーバランスがあった。

野江を身請けする為に奔走した澪に対して、野江が感謝してもしきれないので二人の友人関係のパワーバランスは大丈夫なのかと勝手に心配していた。なんという無駄な心配だろうかと、自らあきれてしまうが、これも性分と思い諦めて心配し続けていた。

しかし、この「秋燕」でその心配は杞憂に終わった。

澪と野江の関係性は変に依存関係にもならず、フラットな友人関係として成立していたので、勝手な心配ではあったが、個人的にはそれが一番うれしかった。

 

この話では、”旭日昇天”の相を持つかつてのあさひ太夫こと野江が、幼き日に起きた大洪水で失われてしまった店「高麗橋淡路屋」を再建したのち、誰と結婚するのかを問われる物語になっている。

本編で野江を庇って命を落とした又次の事を思うと複雑な物語だが、そもそも又次が野江を思っていた感情は恋人のそれではなく、父が娘に寄せる感情、もしくは兄が妹に寄せる思いに近いと感じていたので、野江の結婚を向こうから笑顔で見守ってくれているのではないかと思う

もうね、なんというか、

「又さあぁぁぁぁぁぁん!!!」

って感じ。

 

「月の船を漕ぐ ~病知らず~」

そしていよいよ澪と源斉先生の話になるのだが、

僕は、なんと、この話が一番好きではなかった。

 

「みをつくし」という料理屋を切り盛りする澪と、流行りの疫病の治療のため各地に赴いていた夫の源斉の近況が描かれる。

病人を看取ることしかできない自らの無力感と過労から倒れてしまう源斉に対して、何とか元気を付けてもらおうと様々な料理を作るのだが、そのどれもが食べてもらえないという苦しい時間が過ぎる。あるキッカケからその負の連鎖は立ち消えて好転し、最後はすっきりとした読後感を味わえるのだが・・・。

 

いや、面白いのは間違いないのだけれど、なんかスッキリしない。

何に引っかかってスッキリしないのかを読み終えてから考えてみたのだが、おそらくそれは

「澪と源斉先生の夫婦としての相性の悪さ」

が原因なのではないだろうか。

 

澪と源斉先生はお互いに優しい。

そして、相手に対して気を使っている。

それは素晴らしいことだ。

 

ただし、やりすぎているように思う。

気を使いすぎて相性が良くないように見えてしまうのだ。

まったく縮まらない距離感に、ヤキモキするというか、すれ違い続けているような感覚がずっと続いているのだ。

 

途中で何度か思ってしまった。

「ああ、小松原様だったらもうちょっとうまくいくのに」

と。

それでも二人が幸せなのは間違いないので良しとしよう!と強引にページを閉じることになった気がしている。

 

ちなみに「花だより」で旅を断念した種市がラストシーンで澪と再会する様子は、作られた物語だとわかっているはずなのに自然と胸にこみ上げてくるものがあった。

この結末は心が晴れやかになれる。

 

最後に

みをつくし料理帖の魅力は美味しそうな料理の魅力人情味あふれる物語にある。

現代の小説であからさまな人情話をされても受け入れがたいかもしれないが、時代小説というフィルターを挟むだけでこれだけ気持ちよく、感動に触れられるのかと思うと驚くべきものがある

このシリーズが大好きなので、出来ればご寮さんが登場する話をスピンオフで読みたいなぁと勝手に期待をしている今日この頃だ。