NTR
世の中には『NTR』というジャンルで興奮するタイプの人間がいますよね。皆さんご存知かとは思いますが、『NTR(ネトラレ)』・・・つまり、寝取られる事である種のマゾヒスティックな快感を得るという性癖のことです。
僕にはそういった属性はないと思っていたのですが、先日そんな自分自身への評価が覆るような体験をしたので、恥ずかしながらここに記しておきたいと思います。
ただ、先に宣言しておきますが、エロい話ではないので、ズボンとパンツは降ろさないでください。すでに脱いでしまった方はスイマセン。想像力でなんとかいけそうだったら頑張ってみてください。
職場での出来事
会社で昼食をとったあとに歯を磨くのは僕の日課なんですが、わりと物持ちの良い方である僕は気に入った歯ブラシをみつけると長く使い続けちゃうんですよ。
というのも、あまり歯並びの良い方ではない僕の歯に、ピタリとハマる歯ブラシが数メーカーに1本くらいしかないので、それはもう親の仇のように、その歯ブラシを使い続けるんですよね。
だから、僕の歯ブラシはいつも毛先がシュッとしたハンサムな歯ブラシではなく、もはや浮浪者のようなボサボサな毛先をした歯ブラシなんですよね。けど、さすがに会社でバルデラマの頭のように爆発している歯ブラシを使い続けるのは問題じゃないですか。
そんなことでは同じ歯ブラシを使い続けることで興奮を得るタイプのサイコ野郎だと陰口を叩かれる事は避けられません。
で、まぁ、職場ではウンコもしない貴公子だと崇められている僕は、職場のハニーちゃんたちにそんな姿を見せる訳にいかないので、お気に入りの歯ブラシをついに捨てることにしたんですよね。
歯ブラシを捨てに
なごり惜しさを振り払い、歯磨き直後に歯ブラシを捨てる為に、歯ブラシを手に持ち会社のフロアを奇怪な動きでウロチョロしていると、会社の事務の子が声をかけてくれたんです。
「あ、歯ブラシ捨てるなら一緒に捨てておきますよー」
やはり僕はウンコもしない貴公子だと思われているのか、優しく声をかけて貰えます。「まったくこの子は、僕の使い終わった歯ブラシを欲しがるなんて、困った子猫ちゃんだ」と、勘違いサイコ野郎の思考で手に持った歯ブラシを渡そうとしたんですね。
んで、その子が手に持っていた小さなゴミ袋をぱっくりと開いたんで、僕は激しく口の中に出し入れしていた濡れそぼった歯ブラシの先端を、くぱぁと開いた小さなゴミ袋にゆっくりと焦らすように挿入しようとした―――んですがその瞬間、僕の手が止まったんです。
いやね、
そのゴミ袋の中に
クソ汚い便所サンダルが入ってるのよ
どうやら会社の便所サンダルを新しくしたらしく、古いサンダルを捨てるタイミングだったみたいなんですよね。そうか、この便所サンダルが入っているゴミ袋に僕の歯ブラシを捨てるのか。そうか。確かにこの歯ブラシは捨てるからね。捨てるの。だから全く問題ないんです。問題はないんだけどね。
それなのに、便所サンダル入りのゴミ袋に直前まで使っていた歯ブラシを捨てることに、妙な生理的嫌悪感を感じてしまったんですよね、僕。「いや、アタシの歯ブラシこんな所に捨てたくないっ」と何故かオネェなテンションで現実に逆らおうとするんです。
自分で捨てると決めたわけだからさ、文句をいう権利もないし、資格もないんだけどなんか嫌なんだよね。なんだろうこの感覚。でもよくわからない興奮がある。
入れてっ、とねだられる
でも目の前でゴミ袋をぱっくりと開かれて、
「何してるの…?お願ぃ…。
ソレ…入れてくれなぃの…?」
と言わんばかりにうるんだ瞳で恍惚とした表情を浮かべる事務の子を断ることが出来なかったんですよね。
結局、震える手を押さえつつ冷静を装いながら、僕はその歯ブラシをゴミ袋に差し入れたのです。直前まで僕の口の中に入っていた歯ブラシが今は便所サンダルと寄り添うようにゴミ袋の中に納まっていて、恨めしそうに毛先が僕を見つめている。
ああ、よくわからないが興奮する。僕の歯ブラシが便所サンダルとくっ付いている姿に興奮する。その時ふと思ったんです。
ああ、世にいうNTRとはこういう事をさすのかもしれない。僕は便所サンダルに歯ブラシを寝取られたのではないだろうか、と。
感覚的には自分の都合で別れるしかなかった彼女が壮絶なブ男とデキちゃった結婚したような感覚と近い気がする。いや、もう別れてるわけだからさ、いう権利もないし、資格もないんだけどなんか嫌だ。
あとはずっと例え話
僕の感覚はこんな感じ。
そのブ男とデキちゃった結婚した彼女・・・とりあえずブラ子と呼びますが、思えば僕とブラ子は出会った時から、どこか違っていた気がする。
サークルの飲み会で出会ったブラ子は、笑顔を絶やさずに過ごしているように見えたけど、ふとした瞬間に淋しげな表情を浮かべる女の子だった。サークルでの盛り上がりがまるで聞こえていないかのように遠い目をして、他の奴が話しかけても少し困ったように笑って受け流していた。2人で話すタイミングにその淋しげな表情の理由を聞くと君は遠くを見ながら自嘲気味に自らを語ってくれた。
「へ~キミは鋭いね。アタシの心の水面を覗いている七面鳥みたい」
「ここはアタシの潜るべき世界じゃないなって、いつも感じてた」
「キミは――アタシと同じ色の世界を羽ばたいているのかなぁ?」
何だコイツ、初対面なのに気持ち悪い例えをたくさん言ってくる。怖い。はじめて話した時の印象はそんな風に決してよくなかった。自分に酔ってる女みたいだったけど、一緒にいるうちに僕らは何故か気が合った。出会って3ヶ月目には一緒に朝を迎えていたね。けどその関係が長くは続かない事を僕は知っていた。
なぜなら僕には夢があったから。
コロンビアに小学校を作るという夢が。その夢を叶えるためには人生の全てをかけなければいけないことも分かっていたから。でも、僕の夢にブラ子を巻き込む訳にはいかない。だってブラ子には幸せになって欲しい。苦労してほしくない。だから僕は彼女の前から姿を消した。何も言わずに。
そして数年後、街で偶然出会った彼女は僕を見つけて問い詰めてきた。
何故自分を残していなくなったのか?
どれだけ探したの思っているのか?
たくさんの疑問をぶつけてくる。でも、その言葉が僕に届いていないことに気付き目を伏せるブラ子。
「本当はね――アタシはキミの夢の色を知りたかったんだよ・・・」
「でもね――君の世界の色とアタシの世界の色は――違ってたんだね」
「幸せを描く虹色のキャンパスになれない。アタシは・・・」
ああ、色とかキャンパスとか相変わらずわかりにくい。わかりにくいけど、ブラ子は涙を浮かべ僕を見つめます。そして・・・最後のお別れを言うんです。
「ずっと考えてた――キミとアタシが結婚するちょっぴり先のことを――でも――もう遅いよね。アタシね――アタシ――お腹に赤ちゃんがいるの」
そう言うと雪の結晶を触れるかのように自分のお腹を繊細に触れるとブラ子は泣き笑いの表情で続けます。
「アタシ――もう汚れたキャンパスだから。君のキャンパスにはもうなれないみたい――。このまま便所サンダルさんのキャンパスに飛び込んでいきます――そこが今のアタシにふさわしいキャンパスライフだょ」
キャンパス気に入りすぎだろ。何回言うんだよとは思うものの、そんなブラ子が好きだった。そしてブラ子は湿らせた毛先をなびかせて便所サンダルの元へ向かっていきます。僕はそんなブラ子をただ無言で見送るしかないのです。悔しさで手を握り爪は皮膚に強く食い込み、喰いしばった歯茎からは歯周病で血が流れます。
でも―――何も言えない僕。言い訳ばかりする僕。
失って初めて気が付くんだ。僕はいつだってそうだった。そのボサボサになったくせっ毛も、ほのかに香る歯磨き粉のにおいも僕はいつだって大好きだったのに。「そんなことどうだっていいから、ずっとオレのそばにいろよ」の一言が出てこない。僕はなんて情けない男なんだろう。
便所サンダルと歯ブラシのデキちゃった結婚――どうか彼らの未来がフッ素コーティングのように美しくホワイトニングされますように。そんな風に彼らのマリアージュがグリチルリチン酸ジカリウムに包まれることを祈ること。それだけが僕に許された唯一の贖罪なのかもしれない。
僕は今、心の底からそう思っているのだ。
最後に
仕事中に暇だからって何を書いているんだろう、とは思っている。