ポジティブな結末へ誘導する優しいリドルストーリー『残り全部バケーション』感想文|伊坂幸太郎

伊坂幸太郎の小説は上品なパズルのように思える。

パッと見た限りだとそのパズルは、果たして絵になっているのかもわからないが、パズルを完成させようと奮闘すると、埋まるべき所に美しくピースがはまっていく。そのピースのはまり方も上品で、気が付くと優美なパズルが完成していたりする。そんな印象を受ける小説が多い。

今回の書評『残り全部バケーション』もまさにそんな作品だ。

作品の性質上、ネタバレ回避では感想が面白くないので、ガンガンネタバレをしていきたいと思う。お付き合い頂きたい。

残り全部バケーション

あらすじ

当たり屋、強請りはお手のもの。あくどい仕事で生計を立てる岡田と溝口。ある日、岡田が先輩の溝口に足を洗いたいと打ち明けたところ、条件として“適当な携帯番号の相手と友達になること”を提示される。デタラメな番号で繋がった相手は離婚寸前の男。かくして岡田は解散間際の一家と共にドライブをすることに―。その出会いは偶然か、必然か。裏切りと友情で結ばれる裏稼業コンビの物語。

引用:amazon

あらすじでは作品の一部だけしか書かれていないが、この作品は岡田と溝口という二人の主人公が登場する連作短編集。時系列はバラバラでそれぞれの話は無関係にも思えるが実は繋がっていくので、しっかり読み込んでおくと最終的にとても楽しめる希望のある作品になっている。

感想

今まさに読み終わったばかりでテンションが高いまま感想を書いているのだが、スピード感に溢れる最高のクライマックスを迎える作品だった。それこそ、読み終わりにそのまま飛んでいってしまいそうなテンションで物語が終わっていくように感じた。

いつもそうだが、伊坂幸太郎の描く物語は荒唐無稽で無理のある展開が続くにも拘らず、そんな非現実的な状況が “どうでもいいこと” に思えてくるところが凄い。

この作品でいうと第一章『残り全部バケーション』で、離婚しそうな早坂一家にまったく無関係の岡田がたまたま「友達になりませんか」とメールを送る。そして、その誘いを早坂家が受けていきなり一緒にドライブに行くのだ。現実的にはまったくあり得ない出来事なのに、その非現実が気にならないくらいその後の話の展開が面白い。これだけあり得ない展開を気にせずに読み進ませることが出来る筆力を持つ作家は少ないのではないだろうか。

また、それぞれの登場人物たちの小さな名言が、読み手の心に小石を投げてくれているように響いてくる。その響きが気持ちの良い感覚となって、読み手に伝わってくるのは伊坂作品の共通の魅力だ。

実際の時系列

この作品は小編の時系列が順不同でバラバラに掲載されている。文庫ではこういった順番。

  1. 第一章「残り全部バケーション」岡田が面識のない早坂父にメールを送り家族でドライブに行く。
  2. 第二章「タキオン作戦」岡田が虐待少年を助ける。
  3. 第三章「検問」溝口が検問を通り抜ける。
  4. 第四章「小さな兵隊」岡田の少年時代。溝口の現在が描かれる。
  5. 第五章「飛べても8分」溝口が毒島に対して岡田の復讐を図る。

実際の時系列とは関係なく作品が並んでいることで、読みはじめは全く関係のない話が始まったように思えるのに、読み進めると後半でつながってくる面白さは魅力だ。

しかし、同時に実際の時系列通りに物語が進んだらどういった物語になっていたのかも気になったので、実際の時系列通りの並びを作ってみた。作品を並べるとこんな感じ。

  1. 第四章「小さな兵隊」※過去
  2. 第二章「タキオン作戦
  3. 第一章「残り全部バケーション
  4. 第三章「検問
  5. 第四章「小さな兵隊」※現在
  6. 第五章「飛べても8分

時系列通りにストーリーを読むことを想像してみると・・・う~ん。どことなく平凡な展開というか、「で、何?」みたいな感想を受ける作品になってしまう気がする。小編の並べ方一つでここまで面白さを激変させるのは簡単なことではないと思うのだが、伊坂幸太郎はサラリとこなしているように見えるから不思議だ。

伏線回収

伏線の回収に絡んでくるクライマックスの「サキさん」と「岡田」のメール問題は後述するので書かないが、作品の中には他にも多くの伏線が隠されている。

細かく考察されている方もいるので、僕は長々と語るつもりはないが1点だけは書いていこうと思う。それは『小さな兵隊』に登場している「アドバルーンのバイト男」の存在が溝口であるということだ。つまり、作中でナイフを突き付けられた小学生の岡田を父親と共に?助けた男は溝口だ。

大人になった岡田が溝口がアドバルーンの男であることに気が付いていたのかはわからない(僕は気が付いたからこそ、溝口と付き合っていたと思っている)が、『タキオン作戦』で時間と手間とお金をかけて虐待されていた少年を岡田が助けた理由は、自身が助けられたことがキッカケになっていたのではないかと思っている

もちろん勝手な想像だが、幸せな想像の方がロマンがある。

「サキ」「岡田」論争

物語のクライマックスのメールが誰からのものだったのかは作中では語られていない。いわゆるリドルストーリー*1というやつだ。

いくつか論争はあるようだが、僕は伏線もあるので王道の岡田エンドを信じているので、その理由を書いていきたい。

第一章ディナーの場面で早坂母の昔を懐かしむではこんなやりとり。

p41

「二十代の頃よね」母がうなづく。「 食べ歩きくらいしか、やることなくて」

~中略~

「 食べ歩きですか」 岡田さんが口を挟む。「 そういうのって楽しいですか?」

岡田が食べ歩きに興味を示すシーン。自発的に興味を示している所に、将来的に自らが食べ歩きをする人間になる事に対して信憑性を感じさせている。

そして解説でも触れられていたが、第一章ディナーの場面で岡田がスイーツを食べた後のリアクション。

p48

俺は自分の椅子に腰掛け、目の前のケーキを口に放り込んだ。甘味が口に広がり、お、と思う。今までこういった菓子類に興味は無かったものの、案外に、うまいではないか、と発見した。世の中にはまだ俺の知らないものがあるのか、と思うともっと調べたくなる。

スイーツ自体に興味を持つ岡田。文庫で加筆された文章のようだが、どことなく伊坂幸太郎先生も岡田説を後押ししてくれているようで嬉しい。

スイーツを食べ歩くことに興味を持つ岡田と、スイーツのブログの管理人のサキさん。やはり、どうしてもその二者を連想してしまうし、わざわざ加筆したという事実と合わせて、僕はそのように伊坂幸太郎が誘導してくれているように感じている。「この作品は優しい物語だよ」とヒントを出してくれているように思えるのだ。

また、このブログの『サキさん』が早坂沙希であるとの考察も見かける。どちらが正解なのかはわからないが、もし早坂沙希がブログの管理人だったのなら、是非食べ歩きの友達として岡田が隣にいて欲しいなと感じてしまう。

そちらの方が物語が優しいから。答えがないなら幸せな方を信じたいと思っている。

最後に

物語の結末がリドルストーリーの場合、結末の先は読者にゆだねられることになる。それが物語を読んだ人間に許された絶対的な権利でもある。ゆえに大切なことは自分が信じたい未来を自分で信じぬくことなのかもしれない。

根拠や伏線なんて関係ない。可能性が低くても起こるときは起こる。他人が何を言おうが関係なくて自分の読書感覚を信じていくことなのだろう。どのような結論であれ、出来れば溝口と別れたあとの岡田の人生が素晴らしいバケーションであったことを祈りたいと思う

あとそうそう、毒島さんの存在が本当にとてもビックだったのも、この作品の素晴らしさに直結していたなと感じたことも最後に追記しておきたい。 素敵な作品なので是非読んでみてほしい。

*1:物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーである。