フォレストラバー

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ノーバン始球式を信じて

僕は昔から騙されやすい子だった。

 

中学生の頃、めざましテレビでやっていた、

 

「今日のわんこ」

 

というコーナーは、金曜日だけ無修正を電波に乗せて流しても良い特別な許可を貰うことに成功し、

 

「今日のま○こ」

 

と名称を変え、日本で唯一の性教育の番組になったと同級生に騙され、目を輝かせながらテレビにかぶりついていたことがある。

 

 

もちろんそんな許可なんてあるわけなく、画面一杯に写し出された可愛らしい犬を見た時に感じた失望は言葉にできない。

この件に関しては騙される方も騙される方だが、あの時感じた失望を越える感情を、僕は未だに味わっていない。

 

 

僕の家族に言わせると「あんたは騙されやすすぎる」とのことだ。確かにそうかもしれない。

目の前にあることを、いや自分が信じたいことを僕はすぐに信じてしまう。

疑う人間ではなく信じる人間でいること。それは美徳とも言えなくはないが生きていく中では時間を浪費しやすいということだ。

 

 


皆さんもよく見るかもしれないが記事のタイトルで、

 

『ノーバン始球式』

 

と書かれるものがよくある。

 

www.daily.co.jp

 

ノーバンとはノーバウンドの略で書かれたものだが、記事を書いた人間は確実に、

 

『ノーパン始球式』

 

と誤認させて記事を読ませようとする。

 

でも、そんな事はわかっている。

皆さんだってわかっていると思う。

最近ではヤレヤレと苦笑いしながらも一応クリックしている人もいることだろう。

 

僕だってもう大人だ。

記事を読ませようとするライターの意図も、それでも僅かな希望にすがり付き胡散臭い記事をクリックする男たちの葛藤もわかっているつもりだ。

それくらい僕は大人になったし、常識は身に付けてる。簡単な引っ掛けくらいは見破れる。

 


それでも僕は記事を見つけるたびに その題名をクリックするようにしている。

いつかは本当にノーパンの人が始球式をするかもしれないなんて、そんな淡い期待を抱いてクリックしている訳じゃない。

そんな薄い希望に胸を膨らませる時代は終わった。


ではどういうことか。

 

僕が思うにライターは悪意を持ってノーバン記事を書いているわけではなく、あくまでもクリックして欲しいが故にノーパンに見せかけたノーバンの記事を書いているのだろう。

 

 

ただ、そのライターたちは、実際に始球式をするアイドルたちがノーパンでないことを本当に確認したのであろうか?

 

 

いや、断言しよう。絶対にしていない。

 

 

記者たちはノーバンノーパンを誤認させてクリックさせれば良いわけだからそんなことまでは確認しているはずがない。

 

 

つまり、ノーパンで始球式が行われていない証拠など、どこにもないのだ。

 

 

僕らが今まで見てきた記事の中にはノーバンの影に隠れた本物のノーパンたちがいたかもしれないのに、記事がノーパン始球式ではなくノーバン始球式であるから、自動的にパンツははいているはずだという心理トリックに陥っていたことになる

 


僕らはまんまとノーバン始球式の記事に出てくる女の子たちは勝手にノーパンでないと思い込まされていたわけだ。

 


どの女の子達も実はノーパンだったのかもしれないのに・・・

 

 

そんなふうに考えるとクリックをしようとする指が止まらない。ノーバン始球式の女の子がノーパンであることを信じてクリックし続ける僕の指はこれからも止まる事はないだろう。

 

たぶん僕は信じたいのだと思う。中学生の時に聞いた『今日のま○こ』の存在を。

 

あの時は友達に「そんな番組あるわけないだろ」と笑われたけど、今でも心のどこかで信じているのだ。ノーパン始球式も同じだ。

 

信じることから未来が切り開ける。信じることを辞めては過去の自分を裏切ることになる。

 

当時、画面一杯に写し出されたかわいい犬を見て僕は失望とともにそっとテレビを消した。

 

 

でも今でもほんの少しだけ思う。

 

 

あのまま見続けていたらあの犬がモザイクの向こう側をなめるシーンが見れたのではないかと。今ではもう確かめるすべもない。その事が今でも小骨のように僕の胸に引っ掛かり続けている。


ドリカムも言っていた。10000回ダメでヘトヘトになっても10001回目は何か変わるかもしれない、と。

 

 

だからこそ僕は何度でもノーバン始球式の記事を開き続けるだろう。

 


ノーバン始球式に見せかけた本当のノーパンツ始球式が見れる日を信じて。