宮木あや子『校閲ガール トルネード』感想文:望んだ未来と手に入れた今が違ったとしてもそれは不幸ではない


宮木あや子作品『校閲ガール』『校閲ガール ア・ラ・モード』の続編にあたる作品。

可愛らしいキュートな装丁は相変わらずで、おっさんには買いにくいのだが、今作『校閲ガール トルネード』は、前作よりもやや厳しい現実を突き付けるような内容になっている。

前作、前々作との繋がりが深いので、まだ読んでいない方はそちらを先に読んでもらった方がいいと思うので注意してもらいたい。ではこの『校閲ガール トルネード』のネタバレ感想を書かせてもらおうと思う。

校閲ガール トルネード

あらすじ

河野悦子、ついに憧れのファッション誌に!?モデル兼作家との恋の行方は?ファッション誌の編集者を夢見る校閲部の河野悦子。恋に落ちたアフロヘアーのイケメンモデル(兼作家)と出かけた軽井沢で、ある作家の家に招かれて……。そして社会人3年目、ついに憧れの雑誌の編集部に異動に!? 出典:amazon

校閲ガールシリーズの3冊目にあたるこの作品は大きく3つの話に分かれている

  • 第一話・第二話『校閲ガールと恋のバカンス』は、幸人と2泊3日で軽井沢旅行に行き、軽井沢で出会った作家・森林木一宅にて謎を解き明かす話。
  • 第三話・第四話『辞令はある朝突然に』は、なんと「Lassy」の姉妹雑誌で結婚情報に特化した「Lassy noces」の編集に移動させてもらえることになった悦子が、憧れに近い場所で壁にぶち当たる話。
  • 第五話『When the World iz Gone~快走するむしず』は、校閲部に戻った悦子と作家に限界を感じる幸人が、やりたい仕事と向いている仕事との選択肢から別の道を歩んでいく話になっている。

感想

この『校閲ガール トルネード』は停滞していた前二作と違い、恋愛についても仕事についてもいきなり動き出した印象を受けた。どことなく三部作として作品をまとめ上げてきたような気もする。ではまず恋愛の事から。

ずっとボンヤリしていた悦子と幸人の恋愛事情だが、『校閲ガールと恋のバカンス』で幸人と二人で旅行に行くので、単純に恋愛成就という意味合いでは非常に順調なスタートを切る。

ただ、始まってからいきなり旅行なので、ずっと見守ってきた悦子が急に”他人の彼女”になったようで不思議な感覚になる。幸人の人間性がよくわからないままだから、きっとそう思うんでしょうね。そもそも人間性とかじゃなく、顔が好きになったのだから、幸人の内面描写が少ないのも、まぁ当然と言えば当然の表現なのかもしれない。

その幸人と初めて泊まりの旅行をしたにもかかわらず、生理になってしまう悦子の様子が描かれており、すげー可哀想だった笑。そう言えば以前、男性作家さんが「生理の描写を上手く入れ込むことが出来る男性作家は少ない」と言っていたが、確かに宮木あや子さんは女性だし、あまり男性作家の生理描写の記憶がないので、是非、生理の描写を上手に描いている男性作家を探していきたいと思う

幸人とは話が進むことで朝チュンも経験し(朝チュンの説明まで丁寧に本文に書いてあった笑)このまま幸せになるのかと思いきや、一筋縄ではいかず、最終的には作家を諦めてモデルとしてヨーロッパへ行く幸人を甘えさせずに別々の道を歩むことになる。余談だが幸人のアフロはパーマではなく地毛らしい。

また、仕事に関しても『辞令はある朝突然に』で「Lassy noces」に移動。大きな喜びと校閲部に小さな心残りを置きつつやる気全開で挑むも、自らの雑誌編集としての能力の低さに愕然としてしまい凹みまくる悦子。上手くいかなかろうと、今まで全力で校閲の仕事にぶつかっていた悦子が、そんなに簡単に凹まれると今までの情熱はなんだったのかと微妙に白けてしまう感覚があった。

最終的には雑誌編集では使えないと言われ、諸事情から校閲に戻ることになるが、まだまだ努力次第であるという事をほのかに匂わせつつ終わる幕引きは、今までの作品よりも少しだけ苦い結末だったのではないだろうか

悦子の性格

この作品では、悦子の性格に関して割と新しい情報が盛り込まれていた気がする。一つは悦子の恋愛感覚。派手で完璧な悦子の印象とは裏腹に、非常に奥手な姿を見せていた。作中でも、恋愛をどのように進展していけばいいのかわからないことを、

特にアメリカの若者が主人公の海外ドラマなんかは、出会いから接吻、性交渉までの時空が歪んでいるとしか思えない。

と表現していた。出会いから性交渉までの時空が歪んでいるというのは面白い表現だ笑

また、他人を羨ましがらないという悦子の性格も登場。言い方を変えれば他人に興味がない。それを示すような、母親から悦子に対しての言葉。

「あんたの場合は『人と比べて』ってこと自体できねぇんだ。自分と他人を比べることができねえから、○○ちゃんより点数とりたーいとか○○ちゃんより可愛くなりたーいとか、そういう欲が昔からぜんぜんながったの。逆に言えばあんたは誰の悪口も言わねがった。それが個性なんだから、誇ればよかっぺ」

他人を羨んだり妬んだりがない小ざっぱりした性格という訳だ。それは人間として素晴らしい長所に見える。だが同時に、女性社会を競って成り上がろうという気概がないので、戦場と称される雑誌編集の仕事にはプラスに働きにくいのかもしれない

やりたい仕事

シリーズ通してのテーマでもあるが、『やりたい仕事』と『向いてる仕事』の違いが描かれているのは今作も同じだ。

今回、悦子は雑誌編集を半年やることになり、その半年で雑誌編集の厳しさを味わう。今まで雑誌編集が自らの天職だと疑わなかったのだが、半年間ボロボロになりながら仕事をした結果、使えなかったと言われてしまう。

そして、自分が雑誌編集に向いていないと感じてしまい、そもそも天職とは何かを考えてしまう。そしてその思いをエリンギにぶつけます。

「やりたい仕事と向いてる仕事が、違ったんです。それをやっと昨日、受け入れられたんです。でも本当は、受け入れたくなんかなかった。『Lassy』の編集者に向いてたかった」

でも、自分がその仕事に向いているかどうかなんて1年や2年で判断なんてつかないはずだし、そもそも天職とは、はじめてすぐに出来るようになる仕事ではなく、継続していくうちに高みに辿り着ける仕事なのではないかと思う。だが、余裕がない今の悦子には、その視野を持つことは難しいのかもしれない。

望んでいた未来

今作ではさらに『望んでいた未来』と『手に入れた今』も描かれており、それぞれの雑誌の編集長である楠城と榊原の人生の対比として描かれている。

ランクの高い男と結婚して幸せになりたかった榊原と、バリバリ仕事をこなしてファッション業界の第一線で活躍したかった楠城

それぞれの望んでいた未来は、交換したかのように相手の元に転がり込んでいき、お互いが微妙な関係性になってしまっている。最終的にはただ榊原が友達が欲しかっただけという変なオチになったものの、お互いに望んでいた未来ではないものを手に入れた。

また、悦子が望んだものは「Lassy」の編集の仕事であり、幸人との未来だった。

しかし、『When the World iz Gone~快走するむしず』ではその両方が悦子の手からこぼれ落ちていく。なかなか厳しい結末だが、望んだ未来が手に入らなかったとしても、それは未来を失ったのではなく、違った未来を手に入れたことなのだということを、教えてくれているようにも思える

最後に

校閲ガール』シリーズはこの作品で終わりのような気がする。

悦子も雑誌編集を経験するも実力のなさに打ちひしがれて、好きだった幸人とも別れた。その結末だけ見ると決してハッピーエンドとは言えないのだが、校閲の才能や貝塚からの(微妙な)アプローチなど、欲しかったものではないけれど、価値のあるものが手に入っている。

それはこの作品が、悦子の夢を自由自在に叶える物語ではなく、悦子を通じて手に入らなかった現実の人たちを応援する物語だからではないだろうか。そう考えると、ここで終わることこそがこの作品の価値のように思えてならない。